2026/07/01

6月のメモ①

 

61日(月)

『菜食主義者』(ハン・ガン/訳:きむ ふな)読了。

《ごく平凡な女だったはずの妻・ヨンヘが、ある日突然、肉食を拒否し、日に日にやせ細っていく…その姿を“客観的”な視線で見つめる夫の独白(「菜食主義者」)、妻の妹・ヨンヘを芸術的・性的対象として狂おしいほどに求め、自分自身の描くイメージの虜となってゆく姉の夫の独白(「蒙古斑」)、変わり果てた妹、家を去った夫、幼い息子等々。脆くも崩れ始めた日常の中で、もがきながら進もうとする姉・インへの独白(「木の花火」)……と、3人の“語り手”を通して綴られる連作小説集》

 62日(火)

所沢エミテラス内「Tジョイ」にて『ひつじ探偵団』(監督:カイル・バルダ/2026年製作、アメリカ・イギリス合作)

《ヒュー・ジャックマンが主演を務め、大好きな飼い主を殺された羊たちがその犯人を見つけ出すべく奮闘する姿を描いた異色のミステリー映画。

イギリスののどかな田舎町。羊飼いのジョージは、愛する羊たちに囲まれながらひとりで暮らしている。彼は毎晩羊たちに探偵小説を読み聞かせているが、実は羊たちは物語を理解しており、その時間を楽しみにしていた。そんなある日、ジョージが死体となって発見される。羊たちはこれが事故だと信じようとせず、最も賢いリーダーのリリーを先頭に調査に乗り出す。手がかりを追ううちに、ジョージには巨額の遺産があったことが判明。愛するジョージの無念を晴らすべく、犯人捜しに奔走する羊たちだったが……。(映画.comより)というお話》


タイトルからして、子ども向きor家族向きのB級コメディーを想像させ、全く観る気はなかったが、普段さほど映画を観ないカミさんが珍しく「面白そうだよ。行こうよ!」と鑑賞意欲満々のご様子、「ならば」と軽い腰をヒョイと上げた次第。

(平日の丁度いい時間帯で上映している場所が所沢のTジョイしかなく、午後1時半頃開始のチケットを予約購入……で、上映開始直後「日本語版」と分かり、「ヒュー・ジャックマン」ファンのカミさん「えーっ!?なんでよ~!!」と大ブーイング……「いや~、気づかなかったよ。ゴメン。我慢して」と謝ったが、その怒りの主は20分も経たないうちに爆睡状態……「おいおい」と突っ込む気にもならず、エンドロールまで“放置”した)

さて、肝心の作品に関してだが……アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏によると、アメリカでは「群れに逆らわず、周りの言う通りにする」「自分では考えず、周りの意見に従う」人たちを“don’t be a sheeple(羊っぽい人たち)”と呼ぶそうだ。つまり、この映画の面白さはまず自己矛盾的なタイトルにあり。(「自分で考えず、人や犬の指示通りに動く羊」が殺人犯を探す「探偵」なんてできるわけがない!という多くの人々が抱く当然の疑問が物語の出発点、というわけ……ちなみに、現在アメリカではトランプ支持者の事を“SHEEPLE”と名付けて批判的分析を行う本も出回っているらしい)

で、その羊たちがどうやって「犯人を見つけ出し、彼らの愛するジョージの恩に報いるか」は、映画を観てのお楽しみだが、町山さんの言う通り「シープといっても“一枚岩”ではない」ということが納得できる(&考えさせられる)珍作かつ傑作。実に面白かった。

(犯人捜しの謎解きと共に、キリスト教的死生観とでも言うのだろうか「命をつなぐ」という意味を考えさせられる映画でもあった)


64日(木)

錦糸町で昔の仕事仲間との飲み会あり(午後7時~)。

飲み会の前に、映画でも見ようか……と、午後3時頃TOHOシネマズ錦糸町へ。

染谷将太主演の『廃用身』(監督:吉田光希/製作2026年)を観てきた。

《現役医師の作家・久坂部羊が2003年に発表した同名デビュー小説を、染谷将太が主演を務めて映画化したヒューマンサスペンス。

デイケア施設「異人坂クリニック」に通う高齢者の間では、院長の漆原糾が考案した画期的な治療が密かに広まっていた。コストパフォーマンスに優れた介護を目指すその医療行為は、「廃用身(麻痺などにより回復見込みがない手足のこと)」をめぐるもので、「身体も心も軽くなった」「厳しい性格が柔らかくなった」などと予想外の“好ましい副作用”が現れたという。噂を聞きつけた編集者の矢倉は、老齢期医療に革命を起こす可能性を感じ、漆原に本の出版を打診する。しかし、デイケアに関する内部告発が週刊誌に流出し、さらに患者宅で衝撃的な事件が起こったことで、すべてが暗転していく(映画.com)》。 

「医療と介護」というテーマ的に「他人事じゃない」作品とは思うが、映画の出来としてはどうだろう? 最初から最後まで重いし、暗いし、いたたまれないし……で、後味悪いし。但し“合理性と狂気の狭間へと踏み込む”医師・漆原を演じた「染谷将太」の儚げで虚ろで、一人、別世界にいるような雰囲気を醸し出す演技力は高く評価したい。

飲み会は、刺身の美味い居酒屋『愛魚人』にて(3時間ほどで終了)。(龍ちゃん、ヤブ、ハジメちゃん、ヨーさん、KIUCHIさん……私より10歳以上若い人ばかりだが、みんな元気で!)

65日(金)~67日(日)

自宅のPCに問題発覚。Outlookが「送受信エラー」で、まったく機能しなくなってしまった。チャットgptにも相談してみてが(3040分ほど)、一向に改善の方向が見えず、一時中断。とりあえずプロバイダーに…ということで、ソフトバンクに電話したが「直接サポートできることはなく、あとで「ヘルプページ」をメールで紹介するので、その手順に沿って試してみてください」という、とても親切・丁寧とは思えない返答。

というわけで仕方なく、一人“アウトルック”を正常稼働させるべく苦闘としていたが、結局改善は図れず、断念&放置。結局、Outlookでの送受信は諦め、今後はgmailでメールのやり取りを行うことにした。(友人たちにはその内アドレスを連絡するつもり)

加えて、遅まきながら「LINE」も始める事に……「災い転じて福」とまでは言えないが、仕事関連のメールも全く来なくなった今、交友関係をシンプルにする上では、これも悪くないかも。

612日(日)

サッカーW杯開幕。

当然、日本代表の活躍を楽しみにしているが、以前に比べ自身の“わくわく感”が乏しい気がするのは、日毎増していく現政権への反発・苛立ちが原因かも。

日本列島がW杯で盛り上がっている間に、「国旗損壊罪」とか「比例45議席削減法案」とか、自由と民主主義の破壊を狙う“悪法”が高市自民と維新の手でごり押し的に衆議院を通過しようとしているわけで……(正に“スポーツウォッシング”の典型)。

というわけで「ガンバレ、ニッポン!」「クタバレ高市(内閣)&自民党!」を胸の中で叫び続ける数週間が始まった。

 

2026/05/29

3月・4月(&5月)の映画たち②


『カミング・ホーム』(監督:マーク・タートルトーブ/2023年製作、アメリカ)

《ペンシルベニア州西部の小さな町に住む79歳の男性ミルトンは、娘デニスに認知症の初期症状を心配されながらも、ひとり暮らしを続けていた。ある夜、空から現れた正体不明の飛行物体がミルトンの家の庭に墜落し、平穏だった彼の日常は大きく揺らぎはじめる。周囲に訴えても相手にされず、ミルトンはともに飛行物体を目撃した同年代の隣人サンディーとジョイスと秘密を共有することになる。それぞれ孤独を抱えていた3人は忘れかけていた人生の喜びを取り戻し、これからの人生と向き合っていく(映画.comより)》というちょっと奇想天外ユーモラスなヒューマンドラマ。原題は「Jules

物忘れの頻度が増しつつある自分にとっても他人事とは思えない作品だったが、意外なほどスッキリした後味。「Jules」と名付けられた宇宙人を匿う3人の孤独な高齢者同士の連帯が何とも微笑ましく、温かい気持ちにさせてくれる秀作だった。(Julesに誘われ、一緒に宇宙に向かおうとした彼らが、自分の居るべき場所に気づき引き返すあたりもまた良し)

で、改めて思うのだが、その全体を通した心地よさの大きな要因は、この作品が世界に蔓延る排外主義(及び排他的な思考)と真逆の位置に屹然と立っているように見えるという点ではないだろうか。「異質」を受け入れることで、お互いが寄り添い連帯し、各々の孤独や孤立が少しずつ薄れていく社会……そんな社会を希求する思いも同時に受け取ることが、本作品に対する礼儀の様な気がした。

 

『済州島四・三事件ハラン』(監督:ハ・ミョンミ/2025年製作、韓国)

3万人近くが犠牲になったとされる無差別虐殺が行われながらも長きにわたり隠ぺいされ続けてきた「済州島四・三事件」を題材に、理不尽な暴力に追い詰められながらも必死に生き抜こうとする母娘の逃避行を描いたドラマ。

194843日、外国勢力による干渉に反発した済州島の一部島民が武装蜂起したことに端を発した「済州島四・三事件」。同年10月より、政府は海岸線から5キロ以上離れた地域を「敵性区域」とみなし、「出入りする者は無条件に射殺する」という布告文を発令した。村人たちは難を逃れるため、済州島の中央にそびえる漢拏山(ハルラサン)を目指す。一時的に村を出ることになった女性アジンは、村に残してきた6歳の娘ヘセンのことが心配でたまらない。その頃、村では韓国軍が老人たちを容赦なく射殺していた。生き残ったヘセンは、母を捜すためたったひとりで山へ向かう。奇跡的に再会を果たした母娘は、生き延びるため命がけの逃避行に出る。(映画.comより)》

ノーベル賞作家ハン・ガンの長編『別れを告げない』のモチーフにもなった韓国現代史最大のタブーと称される「済州島四・三事件」(1948年の武装蜂起に始まり、朝鮮戦争を挟んで1955年に終結宣言が行われたが、政治的な圧力などによって長きに渡り語られることはなかった)。監督ハン・ミョンヒはインタビューに応えこう語った。「(四・三事件は)何の罪もない平凡な人たちが国家権力によって犠牲になった事件。犠牲者たちの声を探し、そこに焦点を当てて映画を作りたかった」「SNSによって人々が攻撃し合う現在は、事件当時と似ている」……

というわけで、映画を観終わり、改めて「国家なんて絶対に信じちゃダメだよ」と、日本の(特に)若い世代に伝えたいと思ったが、「国家情報会議法」もすんなり通っちゃったし、メディアは政府ベッタリだし、何を言っても通じないんだろうなあ、今は(と諦念)……嘘つきとバカ野郎たちが、したり顔で国を牛耳っているほど気分の悪いことはないのにね。

(こういう映画が堂々と作られ、多くの観客を動員する。という点でも隣国の民主主義の現在地が分かる。平和も自由も民主主義も失いつつある日本人の一人としては、羨ましくもあり、寂しくもあり…何とも微妙な気分だった)

 

『サンキュー、チャック』(監督:マイク・フラナガン/2024年製作、アメリカ)

《作家スティーブン・キングが2020年に発表した短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」を、「ドクター・スリープ」のマイク・フラナガン監督が映画化したヒューマンミステリー。

大規模な自然災害と人災が次々と地球を襲い、世界は終わりを迎えつつあった。インターネットもSNSもつながらないなか、街頭やテレビ、ラジオに突如として、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という謎の広告が大量に現れる。高校教師マーティーが元妻フェリシアに会うため家を飛び出すと、誰もいない街はチャックの広告で埋め尽くされていた。無事に出会えたマーティーとフェリシアが星々を眺めながら終末の到来を感じ、手を握り合っていると、場面は一転して広告の人物・チャックの視点に切り替わり、彼の人生をさかのぼる物語が美しい映像で紡がれていく。(映画.comより)》

「誰だ、このチャックって? 何なの、これ?」という国語教師の発言に端を発し(国語教師のみならず我々観客も「チャックって、誰?」何ですが…)、世界が破滅に向かっていく(世界だけじゃなく宇宙も!)という、摩訶不思議かつ超スケールのSF映画(ホラー要素もある)なのだが、原作は「トランプはホラーストーリー。彼の2期目が弾劾によって終わることを望む」と公言、時の大統領と真っ向対峙の姿勢を堅持する、あのスティーブン・キング。そんじょそこらのSF映画とは格が違うというか、謎めいたストーリーの中に深く胸に響く警句を忍ばせている点で、一線を画しているわけだが、その重要なカギを握るのが19世紀のアメリカの詩人ウォルト・ホイットマン。

で、そのホイットマンの詩の言葉の意味を少年時代のチャックが女性教師に尋ねるシーン……教師はチャックの頭の両側に手を置き、「私の手の間には何があるの?」と問いかける。困惑したチャックは自分の頭か脳だと答えるが、彼女はさらに踏み込み、手の間(つまりチャックの脳)には、「考えたことすべて、知っているすべての人、これから知る、出会う、見るすべての人がある」と言いながら、「私の手の間にはmultitudes(非常に多くの人々や物事)がある」と結論づける。「あなたはmultitudesを抱えているのよ」……(ホラーな場面じゃないのに、普通にゾクっときたなあ)

さて、アメリカの学校ではウォルト・ホイットマンの詩は必ず習うらしい。どういう詩かというと「君よりも素晴らしいものはこの世にないんだ」ってことを訴える詩……「絶対にその君自身を抑えてはいけないんだ。思いっきり生きるんだよ」「どんなルールも無視しろ。君自身の生き方を達成することが一番大事なんだ」と重ねて教えるそうだ。(日本は「ルールを守れ」とか「人に迷惑をかけるな」とか、端から「自由であること」を委縮させるようなことを「(正し気な)教え」として言うから、権力に従順な人間が増えるんだろうかね?)

というわけで、たとえ世界が破滅に向かおうが、「個人の自由」という最も大切な価値観、道徳やルールに縛られず自分自身で「思考」し続けることの大切さを伝えてくれる珠玉の一本、個人的に本年度ベスト1の傑作でした。(何でもチャットGPTに頼ったり、考える過程を踏まず安易に「答え」だけを欲しがったりする今のボンクラ日本人にこそ観て欲しいが、残念ながら“ボンクラ”は絶対観ないだろうなあ…)


以下、「観て損はなし」の3作品

●『ハムネット』(監督クロエ・ジャオ/2025年製作、イギリス)

「ノマドランド」のクロエ・ジャオ監督が、シェイクスピアの名作「ハムレット」の誕生の背景にあった悲劇と愛の物語を、フィクションを交えながら描いたドラマ。 

※所謂“できちゃった婚”で「幸せな結婚」とは程遠い夫婦関係。静かな家庭より心をかき乱す恋を好む芸術家気質……シェイクスピアの創作の源が何だったのか、私には分かりませんが、映画的にはラストで報われ良かったね。という感じ。

 

●『ソング・サング・ブルー』(監督クレイグ・ブリュワー/2025年製作、アメリカ)

ヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソンが初共演し、アメリカの国民的歌手ニール・ダイアモンドのトリビュートバンドとして活動した夫婦ミュージシャンの実話をもとに描いた音楽ドラマ。

※ヒュー・ジャックマン、相変わらず歌が上手い!共演のケイト・ハドソン(クレア役)も魅力的。映画終了後も暫く懐かしの「スイート・キャロライン」が耳の奥底で流れているような……映画自体も結構感動モノで、私もちょっぴり泣けました。

 

『シンプル・アクシデント 偶然』(監督ジャファール・パナヒ/2025年製作、フランス・イラン・ルクセンブルク合作)

記憶に残る秀作『人生タクシー』のジャファール・パナヒ監督(イランの巨匠。現在イラン政府から映画製作を禁じられられながらも活動中)が手がけ、2025年カンヌでパルムドールを受賞したサスペンス・スリラー。

※アメリカとイランじゃ、今は当然イランの肩を持ちたいが、「神権政治」を標榜しつつ自国の民衆の自由を奪い抑圧し続けるイラン政府を支持する気は全く無し。故に「最悪の体制に映画で抗う」名匠パナヒの健在ぶりを嬉しく思うし、心底讃えたいと思う。

2026/05/06

3月・4月の映画たち①


『木挽町のあだ討ち』(監督:源孝志/2026年製作)

《時は江戸時代。ある雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」のすぐ近くで、美しい若衆・菊之助が父の仇討ちを見事に成し遂げた。その事件は多くの人々に目撃され、美談として語られることになる。1年半後、菊之助の縁者だという侍・総一郎が、仇討ちの顛末を知りたいと森田座を訪れる。菊之助に関わった人々から事件の経緯を聞くなかで徐々に事実が明らかになり、やがて仇討ちの裏に隠された「秘密」が浮かび上がる(映画.comより)》というミステリー時代劇。(直木賞と山本周五郎賞をダブル受賞した永井紗耶子の同名小説を映画化)

どこか「オリエント急行殺人事件」(アガサ・クリスティ原作)を思わせる、謎めいた筋立て。主演の柄本佑をはじめ俳優陣もなかなか豪華で好ましく(特に「芳澤ほたる」役の高橋和也、「作兵衛」役の北村一樹)、中弛みなく楽しめる作品だったが、“時代劇離れ”の若者をターゲットにしている所為だろうか、時代劇慣れした年寄りには若干の物足りなさが残る。特にラスト近く、大写しされる書状の文言「じぶんのために生きなはれ」には(そんなことわざわざ言わなくても…)と“どっちらけ”。で、これで興ざめしたのも束の間、さらにエンドロール(に流れた曲)で“あだ討ち”ならぬ追い打ちに合うとは!!…(「椎名林檎」の自己主張ソング「人生は夢だらけ」。彼女のファンには申し訳ないが、絶望的に合わなかった)

 

『金子文子 何が私をこうさせたか』(監督:浜野佐知/2025年製作)

《約100年前に日本の国家権力に全力で抗った虚無主義者・無政府主義者の金子文子を主人公に、死刑判決から獄中での自死に至るまでの121日間を描いた伝記ドラマ。「雪子さんの足音」などの女性監督・浜野佐知が、金子文子の生の声を伝える短歌をもとに、彼女の孤独な闘いを描き出す。(映画.comより》

映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』及びブレイディみかこ氏の著書『女たちのテロル』(岩波現代文庫)を通じて「金子文子」の生涯及びその“人となり”については大まかに知ってはいたが、改めて「金子文子」という人間の無二性&自我の“凄味”を見せつけられたような強烈かつ鮮烈な一本。(エンドロールが流れた後、渋谷「ユーロスペース」館内に何人かの拍手の音が鳴り響いた)

特に印象的だったのは、主演の菜葉菜(なはな)をはじめ、女優陣が互いに連帯しているかのように醸し出す相乗的な存在感が、より個性を際立たせ異彩を放っていたこと。幼い文子を苛め抜いた祖母役の吉行和子(この作品が遺作とは…流石、和子さん!)、元・日活ロマンポルノの女王・白川和子(地元寺の僧侶婦人役)、そして、週刊文春でのキレキレの映画評論で(個人的に)お馴染みの“サバイバー”女優・洞口依子(仏道婦人之会・教誨師役)……とにかく、みんな凄い。色々あって今なお女優として輝き続けているのが凄い!と、心底思えた。

で、“凄い”と言えば、「キナ臭さや排外主義が広がる社会に“金子文子”という爆弾を投げ込む」という強い意志のもと、この作品を世に送り出した監督の浜野佐知(74歳)も然り。女性の居場所など全くなかった昭和40年代のピンク映画界に18歳で飛び込み、セクハラパワハラに立ち向かいながら経験を積み、1971年にデビュー。85年には自身の会社「旦々舎」を設立しピンク映画界の売れっ子監督になった。というのだから“凄い”に「超」がつくレベル(作品数は何と200本以上!)。

「権力を笠に着、それにしがみつく男どもが束になってもひるまない個の尊さ。権力対シスターフッド。最も描きたかったことでした」という彼女の言葉通り、その“爆弾”は見事に男たちの胸で炸裂したように思う。(願わくば、男たちのみならず、“権力を笠に着て”浮かれ騒ぐ女性総理・高市早苗の頭の中でも炸裂して欲しいが…)というわけで、とりあえず今年の邦画ベストワン!

 

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(監督:フィル・ロード、クリストファー・ミラー/2026年製作、アメリカ)

《アカデミー賞7部門にノミネートされた「オデッセイ」の原作「火星の人」などで知られる作家アンディ・ウィアーのベストセラーSF小説を映画化。滅亡の危機に瀕した地球の運命を託された中学の科学教師が、宇宙の果てで同じ目的を持つ未知の生命体と出会い、ともに命を懸けて故郷を救うミッションに挑む姿を描く。(映画.comより)》

「ヘイル・メアリー」って何?誰のこと?と思ったら、「聖母マリア」のことらしく、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」というタイトルを日本語に訳すと「神様助けて!プロジェクト(=一か八かの神頼み計画)」となるようだ(なるほど。正にタイトル通りの展開)……「地球を救え(そのために選ばれたお前が犠牲になれ)」という半強制的なミッションにより、無理矢理12光年離れた星に向かわせられる(帰る術のない「地獄への片道きっぷ」)主人公グレース(ライアン・ゴズリング)の悲惨かつ絶望的状況に同情しつつ、その悪戦苦闘ぶり&宇宙での思いがけない出会い(何と同じ目的を担う異星人がいた!)に、ハラハラ、ニンマリ、ほっこりさせられながらの2時間半。“絶体絶命、1人ぼっち”の状況で、よくそんなに前向きになれるなあ。しかもけっこう楽しそうだし……と、妙に感心させられる一級品のコメディ映画だった。(SFサスペンスだと勝手に思って観に行った自分がバカに思えたが、結果オーライ。ビートルズの名曲『Two Of Us』が、イイ感じで使われていた点も◎)

 

 

2026/03/04

2月中のあれこれ②


213(金)

隣駅にあるTジョイで『クライム101』(監督:バート・レイトン/製作2026年、アメリカ・イギリス合作)を鑑賞。

一切の痕跡を残さず、また誰も傷つけることなく、高価な宝石を鮮やかに盗み取る事を己の美学とする主人公デーヴィスと彼を追う壮年の刑事ルー(地道な捜査で犯人を追う真摯な姿勢。それゆえに組織の中では邪魔者扱い)、そしてふとしたきかっけで事件に関わる事になる保険会社の女性シャロン(女性蔑視の上司によりキャリアの道を閉ざされている)の物語を軸に描かれるクライム・サスペンス。

私の好きな作家ドン・ウィンズロウ作品の映画化ということで「さて、どんなものか?」と半ば疑いながら観たのだが、そんな疑念は無用の良作(私流に勝手に解釈すると「三者三様、それぞれの人生が職業倫理の“一線”を超える物語」といった感じ)、特にラストは「そう来たか…イイね~!」と思わずニンマリする心地よさ。これほど後味の良いサスペンスもあまり見ないよなあ……と、仄かな解放感に包まれながら帰路に就いた。(余談だが…怪しいブローカー役で出演したニック・ノルティの老いた姿に、改めて月日の流れの速さを感じた)

216(月)

憲法改正「賛成」67%、高市内閣「支持」72%(産経・FNN合同世論調査)……

300万の命を失って、戦争に負けて、ようやく立てた平和の誓い(第二次世界大戦における日本の唯一の成果…と言ってもいい「日本国憲法 第2章 戦争の放棄」)。そんなに簡単に手放しちゃっていいわけ?と言うか、「国家権力から国民を守るはずの憲法を、政権の都合のよいように変えることを支持する国民」って一体何なの?

と、改めてその67%に問いたい気分の朝だった。(内閣支持72%に問う言葉は今のところ見つからない。単に自我が弱くて、強い側に付きたい人間が多いだけかもしれないし…)

221(土)

亡き母の「墓じまい」の為(遠方で行くのが大変、墓まで歩くのが大変、さらに近隣地域で“熊”出没情報も……というわけで、長兄が私の同意を得た後、自身の住まい近くの寺に「移設」を決めた)、あきる野市にある「秋川霊園」へ。

(午後1時、五日市線「武蔵増戸」駅で愚息&その妻アユちゃんと待ち合わせ。駅近くの「大勝軒」で昼食をとり、午後2時頃、現地で兄夫婦&息子のTAKESI君と合流)

小さな山の頂上にある墓の周りは綺麗に整えられ、「花粉症?」の坊さんと片付けの方がにこやかに迎えてくれた。「儀式」は15分程度で終了。(私も「おふくろ、場所が移っても会いに行くから心配しないでいいよ」と手を合わせた)

その後は、「社務所」で“一族”揃っての歓談。お互いの息子同士が意気投合している姿に、80歳を越えた兄も嬉しそうに微笑んでいた。

(後日、TAKESI君の要望で、愚息とライン交換……普段“血のつながり”など、ほとんど意識もせずに過ごしているが、こういう光景は何気に嬉しく、また気恥しくもある不思議な気分だった)

222(日)~28(土)

ネットフリックスで韓ドラを見たり、映画を観たり、図書館で借りた本を読んだり…の日々(仕事、日本語ボランティアは通常通り)。

最近の韓ドラのイチ押しは、(私もまあまあ好きな)人気女優パク・シネ主演のちょっとスリリングなコメディ『Missホンは潜入捜査中』。(パク・シネは、相場操作疑惑がある証券会社に20歳の新入社員として偽装就職し、潜入捜査を行う35歳の証券監督官を演じる)

映画のオススメは、綾野剛主演の『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』(監督:三池崇史/2025年製作)。(綾野剛は相変わらず上手いし、負のオーラ漂う柴崎コウはマジ怖いし……で、最後どうなる?という実際にあった事件の映画化)


本は同時並行的に2、3冊読んでいるが、寝際に枕元で読むのがこのところの日課になっている韓国のノーベル賞作家ハン・ガンの『そっと静かに』(音楽にまつわる思い出を綴ったエッセイ集)が特に味わい深い一冊。
その中で強く印象に残った一節「Let it beを抜粋して紹介したい。(彼女には、幼い子供の面倒を見つつ、指・手首の痛みに耐えながら「三年間に三篇の中篇小説を書いた」という相当ハードな生活を続けていた時期があったようで「日常生活を営むのもつらいほどに痛む手で、文章を書こうとする自分が情けなかった。いっそ、書かずに生きてみようと。できないこともないだろうと。物書き中毒に近かった十年間の習慣を封印してしまうと、恐ろしいほどの虚無感に襲われた」と本節で述べている。その時に彼女を“救ってくれた”のが言わずと知れたザ・ビートルズの「Let it be」だった)

以下、本文より。

《その年の秋、ある夕暮れ時。オーディオにCDを入れると、この歌をかけた。最初に二重窓をすべて閉めてから、最大限までボリュームを上げた。どの部屋にも陰ができないように、灯りという灯りをすべてつけた。すると家は港を旅立つ船のように、非現実的な空間になった。よく滑るように靴下をはくと、フィギュアスケートの選手のように床を滑りながら踊りはじめた。どんなダンスでもない、ただ自然と滑り出すダンス。敢えて名前をつけるなら、ぴょんぴょん、ぴょこぴょこダンス?子どもがはしゃいで私と一緒に飛び跳ね、私と一緒に床を滑った。互いの背中を押して、遠くまで滑った。「レットイットビー!」のくだりになるたびに、すーっと床を走る気分と言ったら!

曲に合わせて声の限りに歌いながらたまに泣いたりしたけれど、母親が泣いているのか笑っているのかわからないほどこの状況に興奮した子どもは、その場でジャンプを続けた。(中略)

華やかなシンセサイザーの間奏が入るたびに、狂ったようにくるくるとその場で回りながら目を閉じた。その一つ一つの音が光のようだと、生の光のようだと感じた。閉じた目に押し寄せてくる光、祝福、喜び、そのすべてだと。そう思いながら涙をふいて、またふいて、しまいにはわんわん声を上げて泣いた。あんなに大きな泣き声も、跡形もなく飲み込んでしまう音楽の中で。

(中略)

歌はいつ果てるともなく、繰り返し私に言い続けた。それこそ脳を洗い流して、私を洗脳した。

答えはあるはず。悲しみはないはず。あるがままに。ただ、そのまま、あるがままに。

「あるがままに」のほかに、どんな言葉が当時の私を救えただろうか。答えを聞かせるのではなく、答えはあるはずだという未来形。悲しむなと言うのではなく、悲しみはないはずだという未来形。なんの偽りもない歌詞。そうやって、私の体にのみで刻み込まれたような歌。》

このエッセイ集を読みながら改めて思ったが、ハン・ガンの文章は繊細なのに逞しく、そして瑞々しく美しい。

(まるで時代を過る無数の靴底に踏まれて泥まみれになった精神が、真っ白い砂や風が吹き流す言葉に洗い清められるように)

「陽光ならばいい」という後半の一節の結びも優しく胸に響いた。

《十年ほど前に書いた短編小説で、死ぬ前に三時間与えられるとしたら、太陽の光を浴びる時間に使いたいと書いたことがあった。今もその気持ちに変わりはない。その三時間のあいだ、陽光の中に全身を浸すのだ。ただし、愛するあなたと一緒に。私のいない長い時間を生きてゆくのであろう、あなたの手を握って。》

2026/03/02

2月中のあれこれ①


22(月)

日本領サイパン島の一万日』(著者・野村進/中公文庫)読了。

第一次世界大戦後に日本の委任統治領、太平洋戦争では日米の激戦地となって、五万七千(うち民間人一万数千)もの死者を出した元・日本領サイパン。移民によって開墾され、「南洋の東京」として栄えた、その繁栄と戦禍の歴史を、「楽園」を求めて南の島に渡った二つの家族を通して描いた(一気読み必至!の)傑作ノンフィクション。驚嘆というほかない地道な取材力で、忘れられた歴史を蘇らせた著者に感謝&大拍手。(ちなみに本書の“解説”は「この人が“解説”する本にハズレなし!」と以前から信頼を置いている「池澤夏樹」。やはり今回も当たり!だった)

以下「目次」

第1章 漂着/第2章 獣の島/第3章 南洋成金/第4章 南洋の東京/第5章 北ガラパン二丁目大通り/第6章 南村第一農場/第7章 海の生命線/第8章 軍島/第9章 戦禍/第10章 収容所 エピローグ 解説・池澤夏樹

※南洋開拓の主な参加者となったのは、東北や沖縄など貧困に苦しんでいた“辺境”の人々。移住先のサイパンでも、出身地により内地人→沖縄人→朝鮮人→現地人の順で待遇に差がつけられ、戦局が厳しくなって真っ先に解雇され見捨てられたのは「土人」「三等国民」と呼ばれる日々を送った現地住民(チャモロ人やカナカ人)だったそうだ。正に「大日本帝国の素顔は植民地でこそあらわになった」という証左。

午後は(1時~)、友人の純ちゃんの家で旅仲間6人が集まって「新年会」。今年の旅行は「山形・米沢」に決まった。幹事(主にプラン作成)はワタシ。

27(土)

駅前の図書館で見つけた寺山修司の『ぼくが戦争に行くとき』(1969年に刊行された単行本の文庫化)の中に「土産は、はずれ馬券」というアメリカのハードボイルド文学の先駆者ネルソン・オルグレン(何と、あのシモーヌ・ド・ボーボワール女史の恋人だったとか)との交流が綴られている一節があった。ちょっと長いが書き留めておきたい。

《(前略)ガラクタを集めるのは彼の趣味らしく、中山の競馬場では、レースのあとの散らばっている、はずれ馬券をポケット一杯にしまいこんで「仲間にいい土産ができた」などとエツに入っていた。京都に全く興味を示さないところが、いかにもオルグレンらしく、もっぱら吉原、浅草でヌード・スタジオをひやかしたりしていたが、彼自身の本領は、むしろリチャード・ライトが指摘しているように「歴史的に根こそぎにされ、定まった形を持たない階層、つまり従順で不安定で内的均衡を欠き、どの階級にも属していないが、それでいてしかも熱烈で正直で、盲目的な渇望をいつもいだいている」人たちの怒りを代弁することである。

中山のオケラ街道で、泣き買や香具師をひやかしながら、同時にアメリカのベトナム戦争の責任をきびしく弾劾するオルグレンは、きわめて体温のある作家、肉声的な作家だ、ということができるだろう。

「ジェームス・ボールドウィンをどう思うかって?」と彼はいった。

「彼は、男色家しか友人じゃないと思っているんだ。そのくせ、彼と寝るのは白人ばっかりだ」

この批評は、そのままボールドウィン文学の本質に触れるものがある。

彼にとっては全米図書賞(アメリカで最も権威ある文学賞)や、ヘミングウェイの高い評価はほとんど問題ではなく、むしろ「もはや、文学では出来なくなってしまった」領域の狩猟にだけに魅かれているように見えた。六十歳近くなっても家庭を持たないオルグレン、彼がこの日曜日に立って行った先はベトナムであった。》

読んだ後、無性にオルグレンの作品が読みたくなって、ネットで調べた所、すべて絶版&高額(中古本)。代表作『黄金の腕』(文庫)は、アマゾンで3万円……お手上げ!だった。 


午後、衆議院選の期日前投票。(既に結果は見えているし、強く推したい人もいなくて、あまり投票意欲は湧かなかったのだが)比例は「れいわ」、地方区は“仕方なく”「中道」に。

28(日)

衆議院選挙。結果は予想通り「高市自民(&電通)の圧勝」。所謂「高市鬱(うつ)・選挙鬱」の悪化を避けるべく、選挙特番も見ず、翌朝の新聞も読まなかった。それゆえ特に感想はないが、政権の側からではなく、国民の側から(特に若者の側から)事実上「大政翼賛会(の推進)」を望んだ形になったということ。

今後は恐らく、戦後民主主義もリベラルも平和憲法もあっさり捨てて、軍拡路線まっしぐら。排外主義はさらに蔓延り、スパイ防止法(という名の治安維持法)も成立、その分、福祉や医療・介護はおざなり、個人の自由は制限され、よりあからさまに「反中・親米(というか追従)」へ向かうのでしょう。

(新しい戦前ならぬ新しい大日本帝国の復活。もしくは戦前を模した「天皇を中心とした一つの新興宗教国家」への回帰……どちらにしても“日本沈没”への道の始まりでは?)

正直、老い先短い?人生。近い将来、徴兵制が導入されようが、トランプ追従で世界から冷たい視線を浴びようが、全国各地の原発がどこぞの国のミサイルやテロリストの標的になろうが「オレの知ったこっちゃないぜ」と、一人ヤケクソ気味に啖呵を切って静かに生きるほか無し……(と思ったが、まずは長い付き合いの「仲間」と楽しく呑みつつ“鬱”を労わり合うのが先決。為政者のみならず世界中の悪意・悪行に屈しないためにもね)

 

2026/02/24

ルシンダ・ウィリアムズの“世界の行く末を憂う”新作。


昨日、友人のY君から「これ、良いよ」と送られてきた「ルシンダ・ウィリアムズ」の新作…早速、聴いてみたら本当に良かった!!

Lu's Worldwide Listening Party

以下、タイトル曲「The World’s Gone Wrong」及びラストナンバー「We’ve Come Too Far To Turn Around」の訳詞。


The World’s Gone Wrong

彼らは毎朝起きて仕事に出かける

彼は車を売り、彼女は看護師

長時間働くことはまるで悪魔の呪い

暮らしは苦しくなっているけれど、まだ最悪ではない

彼女はニュースを無視しようとする

何もかもが理解できず、混乱してしまう

何が嘘で、何が本当なのか

このまま乗り越えられないのではと不安になる

 

さあ、ベイビー、強くいなきゃ

暗い日々がどんどん長くなっている

歌に慰めを求めながら

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

 

彼らには状況が悪化しているのがわかる

町じゅうに空き家が増えている

多くの行方不明者は見つからないまま

悪い兆しがあちこちにあふれている

多くの人が路上に追い出され

生活を維持するのはますます困難になっている

彼は毎晩、疲れ切って帰宅し

この苦しみにいつまで耐えられるのかと思い悩む

 

彼女は窓の外を見つめて首を振る

読んだことが信じられない

耳にすることが信じられない

ある日はベッドから起き上がれないこともある

これが永遠に続かないことを願いながら

きっと良くなると信じたい

気持ちを保つのがだんだん難しくなっている

今こそ、これまで以上にお互いが必要なのだ

 

彼女は彼をぎゅっと抱きしめ、やさしく微笑む

悲しい気持ちはひとまず置いて、マイルスをかけましょう

そして裸足でタイルの上を踊ろう

少しのあいだだけでも悩みを忘れるために

 

誰もが知っている、この世界はおかしくなってしまったと

 

We've Come Too Far To Turn Around

私たちはこの試練に疲れ果てている

幾多の苦難に、もううんざりしている

けれど、ここまで来たのだ 今さら引き返せない

 

東から西へ

北から南へ

私たちはあまりに遠くまで来た 引き返すことはできない

 

そして私たちはここにいる

この巨大な病を目撃するために

ここまで来たのだ もう後戻りはできない

 

私たちは悪の目をまっすぐ見つめてきた

悪魔とゆっくり踊ったこともある

その食卓に座り

宴を共にしたこともある

 

その嘘という液体を飲み込み

憎みながらも耐え忍び

その変装に惑わされ

その信念にだまされてきた

 

私たちはその怒りの犠牲者となり

道から外れたこともあった

それでも、ここまで来たのだ 引き返せない

 

私たちは下ろすだろう

憎しみと分断という重荷を

ここまで来たのだ もう後戻りはできない

 

400年以上にわたり

私たちは涙の道を歩んできた

そしてここまで来たのだ 引き返すことはできない

 

私たちは悪の目をまっすぐ見つめてきた

悪魔とゆっくり踊ったこともある

その食卓に座り

宴を共にしたこともある

 

その嘘という液体を飲み込み

憎みながらも耐え忍び

その変装に惑わされ

その信念にだまされてきた

 

私たちはこの試練に疲れ果てている

幾多の苦難に、もううんざりしている

それでも、ここまで来たのだ 引き返すことはできない

 

※歌を聴いた後、ネットでこんな記事を見つけた。

1992年、彼女は『Sweet Old World』(直訳「懐かしの愛しき世界」)というアルバムを出しました。それから34年後、ウィリアムズはニュー・アルバム『World's Gone Wrong』(直訳「世界はおかしくなってしまった」)でぐっと陰鬱な評価を打ち出しています。

今回のリリースに際し、発表されたニュースリリースには、アルバムの主眼がこう綴られています。「止むに止まれぬ思いで書き上げレコーディングされた、粗削りで潔いナンバー揃い。9曲のオリジナル楽曲を通して、ウィリアムズは私たちの生きているこの時代を詳述するのみならず、私たちにその試練を乗り越えてみろと焚き付けているのです」

彼女は『Morning Edition』のスティーヴ・インスキープにこう語ります。「レコード契約を取り付けるまでが大変だったのよ、何しろみんなに私の曲は暗過ぎるって言われ続けてね。でもね、暗さって、それこそが物事を面白くするんじゃないの」

今回の『World's Gone Wrong』には様々なプロテスト・ソングが収められていますが、これはウィリアムズがかねてずっと書きたかったものでした──1960年代のボブ・ディランの作品に対して抱いていた憧れに立ち戻ったのです。ただ、ミュージシャンとして活動を始めて以来、彼女はずっとプロテスト・ソングを書くことの難しさを味わってきました──けれどそれも、ドナルド・トランプがホワイトハウスにやって来るまでのことでした。

「毎日毎日、大統領が何か言ったとか、決断を下したとか、とにかくクレイジーなことに事欠かなくなっちゃったから──必然的にこういう曲が生まれて来たのよ」

アルバムの中にはボブ・マーリーの名曲「So Much Trouble in the World」のカヴァーも収められており、レコーディングにはメイヴィス・ステイプルズも参加しています。ウィリアムズはこの曲について、「“So Much Trouble In The World” は初めて聴いた時から衝撃を受けた曲で、ここ数年ずっとやりたいと思って色々試していたの。で、今回のニュー・アルバムが時事問題を扱うものになるだろうって徐々に形が決まって行き始めた時に、これは絶対レコーディングしなきゃと全員一致で決まったのよ。あの曲はこのアルバムのセンターピースだから、私と一緒に歌ってもらうのに、メイヴィス・ステイプルズ以上の適任はいなかったわ。彼女と2人で一緒に何かやりたいとずっと思っていたんだけど、ようやく叶って本当に嬉しいのよ、それもこんな素晴らしい曲でね」とコメントしています。

なお、2020年に起こした脳卒中の治療をまだ継続中のウィリアムズですが、今はこれらの新曲をひっさげてロードに出る気満々です。

「今も歩く時は結構大変なの。ステージに上がる時も降りる時も、歩く時にはうちのツアー・マネジャーのトラヴィスが腕を支えてくれるのよ。時にはバランスを支えるためにマイクスタンドにしがみつかなきゃならないこともある。でもちゃんと歌えるから。今はギターは弾いてないけど、それはこれからね」》(MUSIC LIFE CLUBNEWS「ルシンダ・ウィリアムズ、新作で世界の行く末を憂う」より)