2026/02/08

1月のメモ①


日に日に世界が悪くなる 気のせいか そうじゃない

そんなじゃダメだと焦ったり 生活しなきゃと坐ったり

ハンバートハンバートの歌「笑ったり転んだり」が妙に胸に沁みる今日この頃。皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

さて、年も明け、早2月……まずは1月中のあれこれを。


11日(祝)

11時過ぎ、息子夫婦来宅……玄関に立つ愚息の姿を見て少しギョッとした。去年より更に大きくなっている(というか、めっちゃ太っている)!! 

このご時世、経済的に多少ゆとりがあって食べたい物を好きなだけ食べられる。というのは結構なことだが、明らかに好物のラーメン、パスタ等、炭水化物の過剰摂取(という体型)。若いと言っても既に40代突入、成人病のリスクも高まるし、「スタイリスト」なら、自分のスタイルも何とかしろよ!と思うが、本人もパートナーのアユちゃんもあまり頓着していない様子。親の心配をよそに「美味しい、美味しい」と、我が家の“年一”料理をパクついていた。

1月3日(土)

「アメリカがベネズエラを攻撃」「マドゥロ大統領を拘束」という衝撃的な見出しが、各メディアのトップを飾った。暴君トランプによる「モンロー主義」の復活(本人曰く「ドンロー主義」だそうだ)。悲しいかな、時代が完全に逆回転してしまったようだ。

※それから何日か経って、こんな記事を読んだ。

https://www.japan-aala.org/wp/wp-content/uploads/2026/02/20602.pdf

羽場久美子氏(青山学院大学名誉教授)の「ベネズエラ攻撃の国際的影響と日本の針路」

15(月)

初仕事。9時半に家を出て、仕事終了13時。

(年明け早々、本部から「75歳定年」を告げられたが、「まあ、そうだろうなあ…」と、特に異議はなし。夏場の熱中症リスクの高さ、急ぎのクレーム対応、狭所でのパソコンやストロボ交換、重い荷物を持っての“通勤”等、年寄りには結構キツイ仕事。自分も「精々あと2年」と思っていた)

16(火)

初詣。3年連続で行った新宿・花園神社はやめて、東伏見から西武新宿線で「新井薬師前」へ。

長蛇の列に並ぶこともなく、10分程度で参拝(&お札・おみくじ購入)終了。静かで落ちついた雰囲気の心地よい神社だった。引いた御籤も夫婦そろって「吉」。


帰り道、地域で有名な精肉店「ニシジマ」に“ちょい寄り”。牛すじ(煮込み用)、松坂牛ステーキ(超特売!1枚千円)、海老フライ、メンチカツなどを購入。

110(土)

13時~新年会あり。新宿の居酒屋「京町恋しぐれ」(馴染みの映画館「新宿武蔵野館」のあるビルの7F)に9人の仲間が集まった。

まず、年の瀬に(簡単な)手術をしたO君の「(切ない)持病」の話から始まり(同病相憐れむ…というわけでもないのに、手術や病気の話で盛り上がるって何なのかね?)、続いて暴君トランプ(の“新たな植民主義”)へ……さらに高市、野田など…(「松下政経塾」出身の政治家にロクな奴はいない)という話になり、酒がほど良く回ったところで、私が「映画」の話(『黒川の女たち』『   TOKYOタクシー』『国宝』等)に切り替え…といった具合で鍋をつつきながら話が途絶えることなく“ぎっしり”2時間、楽しく語り合った。(やはり、このメンバーとの飲み会は格別且つ特別なもの)

2次会は6人の仲間と「カラオケ」……私は玉置浩二の「メロディー」と、島倉千代子の「愛のさざなみ」の2曲を歌ったが、思うように声が出ず、沈没。

※後日、新年会にも出席していた友人のK君から自作の句が書かれて葉書が届いた。

付合ひは五十余年や新年会

115(日)

「高市総理大臣、衆議院解散の意向」という報あり。

そんな中、ネット上で見知らぬ誰かの“つぶやき”に触れた。

《選挙が始まるとオンラインはまた聞くに耐えないフェイクやヘイトやYouTuberの閲覧数稼ぎの蛮行に溢れテレビなど地上波は「中立」という名の沈黙をする。最後は太田光とかの開票特番が流される。選挙とはそういう怒涛のように押し寄せる愚かさに耐えることでしかなくなっている》

けだし同感。

新聞を読むのもニュースを見るのもバカバカしくなって、本棚から吉本(隆明)さんの本を取り出した。

タイトルは『世紀末ニュースを解読する』(1996年、マガジンハウス発行)。

その中の165P「世界史的未来からみた憲法九条の現実性」という小見出しがついた対談形式の一文に目が留まった。

――(インタビュアー)「国際間国家」のことでいえば日本とアメリカの経済摩擦が激化するなかで、日本が軍事力を強化し核武装でもしなければ、アメリカと対等になれないという主張もありますね。

(吉本さん)こんな言い方はしたくないのですが、核武装するといっても、米ソをはるかに超えるような軍事力をもつ以外にはその考え方はまったく意味のないことになります。そんなことは100%不可能です。どこに未来性があるかといえば、九条を非暴力・非戦力の理想の原則として、そこから世界の軍事力の解体のほうへ、もっていくというやり方のほうが、はるかに現実的だと思います。

その吉本さんの言葉から30年が経ち、「軍事力強化」「核保有」が政権内から発せられる今、改めて「憲法九条」の価値を(平和戦略的に)問い直す必要があるのかもなあ…と思った。